「頑張るのをやめよう!」不登校のわが子に伝えた日のこと
お疲れ様です!まみえです。今日もなんとかやってます(’∀’)v
ずっと書けずにいたことを、今日は書いてみたいと思います。
うちの子は、学校に行かなくなった時期がありました。
布団から、引きずり出していました
あの頃の私が何をしていたか、正直にお伝えします。
朝、布団から出てこない子どもを、無理やり引きずり出していました。「なんで行かないの!」と大声で責めました。車に乗せて学校まで連れて行き、保健室の先生に羽交い絞めにしてもらって、私はその場から逃げるように帰りました。
今、こうして書いていても涙が出ます。本当に、申し訳ないことをしました。
でも当時の私は、それが正しいと思っていたんです。行かせなければいけない。行かせるのが親の役目だ。学校に行けばきっと先生方がなんとかしてくれる。そう信じて疑いませんでした。
通勤中の車の中で、よく泣いていました
毎日がつらかったです。
職場に向かう車の中、一人になると涙があふれる日が続きました。日々繰り返される子どもとの攻防、子どもが「学校に行きたくない」と訴える姿が何度もフラッシュバックされていました。
身内からは、子どもが学校に行ってないって聞いたけど、どうなってるんだ、と問いただされたこともありました。家庭訪問に来てくださった先生の「ほかのお子さんも同じですよ」という言葉さえ、あの頃の私は素直に受け取れませんでした。ほかのお子さんも不登校ですよ、ほかにもたくさんいますよ、だから安心してください、ということです。子どもも、親もみんな不安でみんなもがいている。ほかにもいるから大丈夫、なんて理屈が通るはずありません。先生は親切心で、安心させようと言ってくださった言葉であることはわかっていましたが、内心反発している自分がいました。
家のだれもいない真っ暗な部屋で泣いていたこともあります。子どもたちは、そんな私に気づいていたと思います。母がメソメソ泣いていて子どもに心配をかけている。その光景を想像しただけで申し訳なさで胸が張り裂けそうです。でも、私には泣くことをこらえる余裕がありませんでした。
私が苦しかったのはもちろんですが、いちばん苦しんでいたのは、子ども自身でした。
学校に行かせるのをやめたとき
いろいろなことを経て、私はある日、学校に行くことを強制するのをやめました。
すると、少しずつ、子どもが元気になっていったんです。
心も、体もです。それまで塞ぎ込んでいた表情が、だんだんやわらかくなっていきました。突然大声を出して暴れまわったり、衝動的に家を飛び出て行ったりすることが減っていきました。つらくて悲しくて、消えてしまいたいと訴えることもなくなりました。
そして、元気になると、不思議なことが起きました。少しずつ、物事に対するやる気がわいてきたようなんです。何かに興味を持ちはじめる。学校の勉強ではなくても、将来に向けて何かやってみようという気持ちが少しずつ芽生えてきているように見えました。
あんなに必死で、学校に押し込もうとしていたときには、まったく見えなかった子どもの姿でした。
学校に行かなくてはならない、というのは
あのとき私がしていたのは、「こうあるべき」を押しつけることでした。
学校に行かなくてはならない。それは大人にとっては当たり前の常識かもしれません。でも子どもにとっては、その常識を押しつけられることが、家という、たったひとつの安心できる居場所を奪われることにつながるんだと、今は思います。
学校に行けない。家にいても責められる。それなら、その子はどこにいればいいのでしょう。今子どもの立場に立って想像すると…それは絶望につながる環境だったと思います。
どうか、子どもを孤立させないでください。家という安心できる居場所だけは、奪わないでやってほしいと思います。
「行かなくていいよ」と、声に出して言ってあげてほしい
そして、もうひとつだけ。これがいちばん伝えたいことかもしれません。
黙って見守るだけでは、たぶん足りないんです。
子どもは、親が本当はどう思っているかをちゃんと察しています。口では何も言わなくても、朝になると母の顔がこわばる。ため息が聞こえる。それだけで、自分はここにいてはいけないんだと感じてしまう。責めないことと、許されることは、子どもにとって別物なんだと思います。
だから、声に出して言ってあげてほしいです。
学校に行かなくていいよ。家にいていいんだよ。
私自身は、こう言った記憶があります。
「もうやめよう!頑張るのをやめよう!家にいよう!!」
ここにたどり着くまでには、ずいぶん迷いました。迷って、迷って、迷い抜いて——その末に出した結論が、頑張るのをやめる、ということでした。
だから口に出したとき、ためらいはもうありませんでした。つらそうにしている子どもを、これ以上見たくなかった。私自身も、限界でした。
そしてこの言葉を言ってから、心がすっと軽くなったのを覚えています。
あのとき私は、学校に戻すことばかり考えていました。でも、順番が逆だったんですね。学校に戻すことが先ではなくて、安心して休むことが先だったんです。
あとから知ったのですが、2016年にできた「教育機会確保法」という法律には、不登校の子どもの「休養の必要性」という言葉がはっきり書かれています。文部科学省も、不登校の支援は「学校に登校する」という結果だけを目標にするものではない、と示しています。
10年近く前から、国として不登校への考え方を明らかにしていたとは知りませんでした。
ただ、同じ通知には、勉強の遅れや進路のことにも気をつけるように、ということもちゃんと書いてあります。休めばすべて解決するわけではないし、国が責任をとれるわけでもないのですから。
あのとき必死だった私に、教えてあげたかったです。休ませていいんだよ、それは間違ってないんだよって。
それでも、焦る気持ちはあります
よその子と比べて焦る気持ちは今でもあります。この先どうなるんだろうと、不安になる夜もあります。それが正直なところです。
全国で、小中学生の不登校は35万人を超えているそうです。数字を見れば「うちだけじゃない」と分かるはずなのに、渦中にいると、どうしても自分たちだけが取り残されているように感じてしまうんですよね。
それでも——今、元気に、前を向いて進もうとしている子どもを見ていると、あのとき強制するのをやめた選択は、間違っていなかったんだと思えます。
子どもの成長が、誇らしく思えるんです。
一人で戦わなくていい
あの頃の私が立ち直れたのは、自分の力ではありませんでした。
話を聞いてくれた友人。専門家の方。そして家族。誰かに頼れたから、なんとかここまで来られました。
もし今、同じ夜を過ごしている方がいたら、伝えたいことがあります。
一人で戦わなくていいです。
あなたを理解してくれる人、応援してくれる人は、必ずいます。そして、お子さんに対しても——あなたは、あなたのままでいいと、伝えてあげてほしいです。それが難しくても、まずは学校に行かないことを責めないでいてあげてほしいです。
あなた自身も、決して自分を責めないでください。お子さんにとって、家族が笑顔でいてくれること、家族の気持ちに余裕があることが、また安心につながると思うからです。
「こうあるべき」を押しつけて苦しめて傷つけてしまった私の子どもは、私のしたことを忘れないと思います。申し訳ないことをしました。謝っても許されるものではありません。だからこそ、同じ辛い思いをする親子が減ってほしい、それが私の願いです。
失敗やむなし!今日も子どもの元気を願いながら、なんとかやってます♪
