「もう大きくなったし…」とこどもの写真を撮らなくなっていた私が、また撮りたくなった日
お疲れ様です!まみえです。今日もなんとかやってます(’∀’)v
先日の夜、なんとなくパソコンのフォルダを開いたんです。
そしたら、昔の写真がランダムに表示されました。
子どもたちの、小さい頃の無邪気な姿。
気づいたら、目頭が熱くなっていた
まだ言葉もたどたどしかった頃の息子。
ふにゃふにゃの笑顔で、こっちを見ている赤ちゃんの頃の誰か(4人とも赤ちゃんの頃の顔が似てるんです。ぱっと見では母でも判別が難しくて汗)
一枚、また一枚と見ているうちに、じわっと目頭が熱くなりました。
「こんなに小さかったんだなぁ」
「このころの時間はもうかえってこないんだな…」
写真って、ちゃんとその瞬間を残しておいてくれるんですよね。当たり前のことなんですけど、改めてそう思いました。
そして、気づいてしまった
見返しながら、ふと気づいたことがあります。
最近、子どもの写真、ほとんど撮ってない。
スマホのアルバムを開いてみたら、出てくるのは犬の写真ばかり(笑)
もちろん犬も可愛いんですが、子どもたちの「今」の顔、気づけばあまり残していませんでした。
「もう大きくなったし」の罠
なんでだろう、と考えてみたら、心当たりがありました。
「もう大きくなったし」
小さい頃は、ちょっとした表情や仕草も愛おしくて、しょっちゅうカメラを向けていました。でも大きくなるにつれて、なんとなく「もう今更」「照れて撮らせてくれないよね」という気持ちが先に立って、シャッターを切る回数が減っていったんだと思います。
未来から見れば、今も十分子ども
でも、写真の中の小さかった頃の子どもたちを見ながら、思ったんです。
5年後、10年後の私は、今日の子どもたちの顔を見て、きっとこう言う。
「あの頃、まだこんなに小さかったんだね」って。
「もう大きくなった」と思っている今この瞬間も、未来から見れば、十分すぎるくらい「子ども」なんですよね。
以前、「子どもの写真は撮りっぱなし厳禁!17年後に後悔した私の話」という記事を書きました。あのときの後悔は「撮ったのに、ちゃんと残さなかった」ことでした。
今回の気づきは、その少し手前。そもそも、撮ることそのものが減っていたという話です。同じ「後悔」でも、種類が違うんだな、と自分でも意外でした。
未来の私への贈り物
今日、この瞬間の子どもの顔も、いつか「あの頃」になる。
そう思うと、下手でもいい、ブレててもいい、今日の一枚を撮っておこうと思えました。
それは、未来の私への、ちょっとした贈り物なのかもしれません。
今日からまた、ちょっとずつ。子どもたちの「今」を、残していこうと思います。
失敗やむなし!今日も一枚、なんとか撮ってます♪
