ママ、○○くんのお母さん、○○主任…どれも頑張る私の称号
お疲れ様です!まみえです。今日もなんとかやってます(´∀`)v
先日、高校時代の友人と久しぶりに会ってきました。子どもの話、仕事の話、ちょっと未来の老後の話まで、たっぷりおしゃべりしてよく笑ったお昼。
帰り道にふと、「ああ、久しぶりに素の自分で話せたな」と気づきました。そして同時に思ったんです。「でも私、普段“まみえ”って呼ばれてないな」と。
――ちょっと、呼ばれ方について考えてみた話です。
立場が違うと、友人でも話題を選んでしまう
大人になると、同じ学生時代を過ごした友人でも、それぞれの生活が本当にバラバラになります。結婚した人、独身を楽しんでいる人、子どもがいる人、いない人。仕事はフルタイム、パート、専業主婦、管理職…。
どんなに仲のいい友達のはずでも、「この話題、相手にどう響くかな」と、無意識に選んでしまう。育児の愚痴をこぼしたら独身の友人は不快に思うかな、とか、仕事復帰の話は子育て中心の友人には遠く聞こえるかも、とか。自慢に聞こえないか、傷つけないか…仲が良かった友達でも心は緊張していると振り返った今、気づきました。
気を遣っているつもりは全然ないのに、自然と話題が狭くなっていく。大人の友人関係って、そういうものなのかもしれません。
あの日は、フィルターなしで話せた
でもあの日は違いました。ランチで会ったのは、境遇が近い友人。似たような子どもの年齢、仕事と育児の両立、そしてちょっと疲れた顔つき(笑)。
「わかる、わかる」が何度飛び交ったか。愚痴もぽろっと言えるし、相手のため息にも共感できる。普段どこかにかけている“フィルター”が、自然にすっと外れていくような感覚でした。
言葉を選ばずに話せる時間って、こんなに楽だったんだなあ。そう、改めて気づかされたランチでした。
ママも、お母さんも、主任も、頑張ってきた私の称号
お昼が終われば、私はまた日常に戻ります。家では「ママ」、保育園で「○○くんのお母さん」、会社では「○○主任」。自分の名前で呼ばれる時間は、実はそんなに多くありません。
でも、私はこれに抵抗がないんです。
「ママ」と呼ばれるのは、4人を産んで育ててきたから。
「○○くんのお母さん」と呼ばれるのは、子どもが学校や地域で育っているから。
「○○主任」と呼ばれるのは、仕事を続けてきたから。
どれも、これまでコツコツ積み重ねてきたものが、他の誰かから返ってきた呼び方。今だけの、私だけの称号のような気がしています。
いつか子どもが巣立って、ママと呼ばれなくなる日が来るでしょう。会社を離れて、主任と呼ばれなくなる日も。そうやってひとつずつ称号を手放していく頃に、残るのは「まみえ」という、本来の私だけ。
だったら今の呼ばれ方は、今の私にしか持てない勲章みたいなものだなあと思うんです。
ゲームみたいに、モードを切り替えながら
最近気づいたんですが、呼ばれ方ってゲームでいう“モード”の違いみたいだなあと思うんです。
家では「ママモード」、職場では「主任モード」。そしてあのランチの時間だけ、一瞬「まみえモード」に切り替わっていました。
それぞれのモードで、話し方も、考えることも、ちょっとずつ変わる。でもどのモードも、ちゃんと私。
一方のモードだけだと、たぶん息が詰まる。切り替えながら行ったり来たりしているから、私は私でいられるんだと思います。
たまにフィルターを外して「まみえモード」で笑える時間を大事にしながら、日常では“称号”たちを素直に受け取っていこう。
失敗やむなし!今日もママで、母で、主任で、時々“まみえ”で、なんとかやってます♪
